ハンバーグ 〜幸せの瞬間〜 
09/11/23, 01:06 AM - 一般



一昨日、夕食を食べにハングリータイガーに行ってきた

横横自動車道を北に登り日野インターで降りる

突き当りを右折し、少し行ったところにその神殿は見えてくる

駐車場に車をとめて降りた瞬間に匂うジューシーなハンバーグの香り

800℃の炭火で加熱されたフットボールハンバーグが「ようこそ」と歓迎している

「さあ、解放の時だ」入り口に辿り着くまでに生きている実感をたっぷりと味わう

受付に記帳を済ませ、ゆっくりと来たるべく「その時」を待つ

テーブルに座るまで1〜2時間かかるのは当たり前

その先にある幸福を考えれば、そんな時間はたいしたことはない


しばらく待ち「その時」が来た
場内アナウンスの呼び出しの声に痙攣してその場に倒れこむ

『人が人でなくなる・・・いや人が最も人らしくなれる瞬間がくる』
そう思うといてもたってもいられなくなり、最後の力を振り絞り、遠吠えにも似た叫び声をあげながら、案内人のところまで激走する

席に着くや否や「冒険の書」を手に取る

ここに来た理由はただひとつ「最高のハンバーグを食べに来た」ということだけだ

それ以上でもそれ以下でもない

もともと決まってはいたが、念のため「書」に書いてある「ダブルハンバーグ」の文字を確認する

迷わず案内人に叫ぶ
『ダブルハンバーグご飯大盛』


・・・それからもう3時間は待っただろうか
実際の時間は15分やそこらなんだろうが、いやにながく感じたことを覚えている

鉄板の上に乗った「ヤツ」がコチラに向って近づいてきた

『ジョシューッ!シュパーッ!』
「ヤツ」は鉄板の上で音を立てて踊り狂っていた

音と踊りの芸術に場内は、ミュージカルのような雰囲気に包み込まれていった

案内人はこちらが浸っている余韻など気にもせず、「ヤツ」にナイフをいれた

ダブルだった「ヤツ」はクアドラプルへと変貌を遂げた

特性ソースをトロリトロリ「ヤツ」に浴びせる

『ジョシューッ!シュパーッ!』
まるでアンコールに応えるかのように再びミュージカルがはじまった

防御シールドを高々と上げ、「ヤツ」からの攻撃に備える

シールドの影に写る欲望の塊、完全体になろうとしている「ヤツ」が最後の進化への準備をしている

少し早めにシールドを下ろし、出来上がった「ヤツ」をいただく

噛み砕くとともに溢れる肉汁

ソースと肉のハーモニーを楽しむ間もなく次の肉にフォークが伸びる

笑顔が止まらない フォークも止まらない



世界一の幸せ者は自分だと確信した時であった
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宇宙その神秘なるもの 
07/5/24, 10:08 PM - 一般

はるか昔、人々は宙(そら)に散らばる星々に自らの運命を読んでいた。
星に願いをかけ、未だ見ぬ明日を、不確かな自分の将来を占っていたのであった。

歴史がはじまり学問が生まれた。宇宙の解明は知識人の興味を引き付けるには格好の存在であった。
2世紀頃、天動説が提唱された。
(2世紀頃の天動説とは。この説には紀元前4世紀頃のアリストテレスによる宇宙説なるものなどもあるが、一般的なクラウディオス・プトレマイオスの天動説の事である)
簡単に言うと、空を見上げて東から西に沈む太陽の動きや、星の位置の決まった変化などを見て、すべての天体が地球中心にまわっているという説である。現在の地動説に近い考えもあったが、この頃はまだ天動説が主流であった。

天文学者たちにより未知なる宇宙が少しずつ解明されてきた。

16世紀、ニコラウス・コペルニクスの地動説の提唱。天文学革命の火蓋が切って落とされた。
宗教には天動説の考えで構成されている部分があって、当時は地動説に関して論争や弾圧などがあった。いまだに天動説を信じている者もいるらしいが。
宗教と科学の不和の始まりでもあった。

17世紀、ガリレオ・ガリレイの天体観測による星界の報告。ヨハネス・ケプラーの天体連動、楕円軌道の発見(ケプラーの法則)。アイザック・ニュートンの万有引力の法則。
その他、数々の天才達により地動説が不動の地位を得た。
これら偉大な学者達のおかげで、いまでこそ人々は自分たちが踏みしめる地球の位置などの太陽系のイメージを頭の中に描く事ができるようになったのだ。

20世紀、遂に人類は地球外の天体に到達した。アポロ計画19690720である。(これにはコンスピラシーも多く存在するが私は事実であったと信じている。)

それ以降21世紀、現在まで飛躍的に宇宙の解明が進み、素人の私にはイメージとしてしか捉える事ができないくらいそれの真相が見えてきた。

ハッブルの法則
これにより宇宙は膨張を続けている事がわかった。その法則によって宇宙の年齢が解明された。
元素合成によるビックバン理論である。
137億年、地球の誕生は91億年後、生命の誕生は99億年後の事である。
人類の誕生に至っては136億9500万年後である。
膨張を遂げた後、収縮していくという説もあるが恐ろしすぎてこの説は否定したいものだ・・・

太陽系、銀河系、銀河団、1億光年以上の面積を持つと言われる超銀河団。
太陽系は宇宙の極々一部にすぎないという説。

四次元
アルベルト・アインシュタインの相対性理論
宇宙には果て(端)は無いが、外があるという事。宇宙の果て(端)とは、宇宙を球に例える。球の球面をグルグル回っても果て(端)が無い。球の表面(面積)は有限であるが果ては無いという事だ。宇宙が膨張を続けているという事はその球自体が大きくなっているというイメージだ。
宇宙を三次元の考えで果てを探しても四次元から見れば球の周りを回っているだけしか見えないという事である。
これを推奨する説で、実際どこまでも見れる事のできる望遠鏡で宇宙を見ると自分の後頭部が見えるであろうという説がある。
球面から離れれば外に出るという事だが三次元の私には全く想像ができない。四次元とは時間が関係しているらしいという説もある。
現在、宇宙の外に行く研究が進められている。早く外が見たいものである。
三次元に住む私達が、はたして四次元の世界を理解する事ができるのであろうか。なぜなら二次元の縦と横の世界の者が後ろと前など考えもしないのと同じ事で、三次元の私達からは想像もつかない世界であるからだ。

天文学・・・・宇宙から見ればチリにも満たない人間達が互いに夢を抱き、その真相を究明する素晴らしき最高峰の学問。
私は宇宙の全貌が解明される日が来て欲しいとは勿論思うが、その思いとは裏腹に未知の存在であって欲しいという思いもある。
宇宙の神秘はいつの時代も無くてはならないものである。

果てなく永い宇宙の歴史には人類の様な文明、いやそれ以上の文明を持った者達が他にも数多く存在していた事であろう。
もしかしたら人類と同じ様な文明を持った者達が今も、今日に悩み、明日に希望を抱いているかも知れない。
実は太陽系の小さな惑星に彼らが存在し、近い将来彼らと接触する日が来るかも知れない。
只一つ言える事はどの者達も時間だけは操る事はできなかったという事だ。
いや、できていたのであろうか・・・すでに想像もつかないくらい昔に解明されていて、何がしかの理由で封印されていた(いる?)のかも知れない。
それらの者達が残した軌跡は宇宙のどこかに今も存在し、その文明を受け継ぐ者を待望しているに違いない。

宇宙、何とも神秘なるものであろうか。想像が尽きない人類永遠の夢である。
こうしている今も私は夜空を見上げてそこに浮かぶ星々を眺め、幻想に興じている。


半世紀前の英国に見る 
07/4/24, 09:57 PM - 歴史を見る


Rockers

50年代後半〜60年代前半にイギリスで生まれた若者文化。
アメリカの50'sのスタイルを受け継ぎ、Rock 'n' RollやRockabillyなどの音楽を好んで聴いていた。特にエルビス・プレスリーに強く影響を受けている。
スタイルはライダースというレザージャケットにレザーパンツまたはジーンズ、髪はグリースで固めたグリーセット(リーゼント)。TRIUMPH、BSA、Nortonなどにまたがり、カフェなどに集まってJukeBoxでロックンロールを楽しんでいた。
ロッカーズの聖地として、イギリスのエースカフェがある。
24時間営業であるエースカフェに集まったRockers達が、JukeBoxの曲と同時にスタートし、曲が終わるまでにカフェに戻ってくるという公道レースをカスタムしたバイクで行っていたことから彼らのバイクはカフェレーサーと呼ばれていた。

60年代前半彼らに敵対勢力が現れた。
彼らよりもっとクールで知的であろうとする集団「Mods」である。
彼らのスタイルは、一見トラッド風を着崩した洒落た装いで、Vespaのスクーターをこよなく愛し、音楽はアメリカのレアな黒人音楽、R&Bやソウル・ミュージック、ジャマイカのスカ、ブルービートなどを好んだ。
。また彼らはドラッグを遊びの道具として取り入れた。使用するドラッグはアップ系と決まっていてハート形をした外見だけは可愛い(パープルハーツ)と呼ばれるものなどを服用していた、昼間は真面目な少年少女の仮面をかぶり、夜はクラブで熱狂の一夜を過ごす。

これらの若者文化の背景は
1960年にイギリスで徴兵制度が廃止された。
これにより18歳からの兵役が無くなったことで、
働き始めた若者が増え、当然ながら遊びを求め出す。

この二つの勢力はのちにイギリスのブライトンにて歴史的抗争を繰り広げる。
映画「さらば青春の光」というのがあるのだが、この時代この争いを描いている。
(モッズよりの制作であり見ていて気分が悪かったのを覚えている。)

私はRockersに魅せられた数少ない若者の一人だった。
Rockersの格好などを真似して、ライダースにジーンズ、エンジニアブーツ、ヘアースタイルもグリーセットに決め込み、バイクもTRIUMPHに似せてみたりした。
駅前でステレオにRock 'n' Rollを流しツイストを踊って見せた事もあった。
しかし非常に残念なことではあるが、日本人には全く似合わない。特に私には!
Rockersの文化を学んだ私は、自分が恥ずかしくなり、バイクを降りた。

イギリスにはすばらしい文化がたくさんある。時代にあわない文化は時と共に変貌を遂げる。
今この時点でも後の世代に評価される文化が生まれているのは確かだろう。
しかしながら、Rockersほど私を魅了した若者文化は世界の歴史をさかのぼってもこれを超えるものはない。
叶う事なら1950年代のイギリスへ行ってみたいものだ。

それいけ神仙丸! 
07/4/16, 08:16 PM - 一般

血統書が届いた!
もちろん2月から屋根を同じくしている親愛なる相棒!名は「桜山神仙丸」!
そう神仙丸の血統書だ。品種はトイプードル、毛色はアプリコットである。
どうやら三人兄弟の長男であるらしい。

「プードルの起源はフランスである。
泳ぎが得意で、もともとは鴨猟の回収犬として広く用いられていた。
その後、フランスやイギリスなどで小型化を重ね、
ミニチュアプードルやトイプードルが作り出され、愛玩犬となった。」
らしい

2006年11月23日生まれの彼は人間で言うと、もう2歳くらいになるのだろうか。
彼は非常に内弁慶な性格である。
家の中では母親に噛みついたり、そこらじゅうに小便をまき散らしたり、小物を銜えて走り回ったり、
仕舞いには注意する私を面白がって逃げ回る始末である。
しかし散歩に行こうと外に出ようものなら急にヘッピリ腰になり、地べたに腰をおろしてしまう。
そのギャップも可愛いところの一つではあるのだが。

トイプードルという品種は頭が良いらしく生後三か月ほどでお座り、お手、などの
芸を覚えると言うのだが、こと神仙丸に至っては一つも出来ていない!
毎回おやつをあげる時に一応は教えるのだが、どうやら彼は「おすわり」を
「おやつあげるよ」とかと勘違いをしているみたいであり、「おすわり」と言うと
私の手のひらに向かって尻尾を振って一目散に向かってくるのである。
なんとも愛着のある行動ではないか!母親は「この犬は芸も覚えないし、落ち着きもないね」
などと言っているが、落ち着いてしまってはかわいさも半減してしまうというものだ。

最近は私の暮らしている環境にも慣れて来て、「ワンワン」と大威張りだが、
当初家に来たばかりの時はストレスで腹を下したり、風邪を引き夜中に咳をしたりと
何かと心配したものだった。その度車で30分ほどかけて病院につれていったり、
ペットの病気と予防と言った書物を読み漁っていたものだった。
体重も800gで体も30cmに満たない小さなぬいぐるみのようだった。
自分で走って転んで「キャンキャン」と泣き、よく心配をしたものだ。
今では体重2kg体は40cmほどであろうか、手足が伸び、毛質も丸まり、動かなければ
気品を漂わせている。
ワクチンも終わり、今の目標は散歩に行く事だ。

お前も俺もまだまだ先は長い!ともに歩もうぞ!若き褐色の相棒よ!

http://www.geocities.jp/soreike_shinsenmaru/

七つの海を駆ける地中海の芸術 
07/4/10, 07:02 PM - マリン

Riva Aquarama 1962年製 
芸術的な(Mahogany)マホガニーの木目を生かした(Piano Finish)ピアノフィニッシュと呼ばれる鏡のような艇体、当時驚異的なスピード等もあり世界の富豪に愛された。
驚異的とは当時のものであるが、今でも40ノットは軽くでるパワーボートである。

RIVAの歴史は古く、160年以上前の1842年にまでさかのぼる。
北イタリアの(Sarnico)サルニコ (Lago d'Iseo)イゼオ湖の港町で(Pietro Riva)ピエトロ・リバという人物によって、格式あるこのヨットブランドの歴史が始まった。
当時のイタリアはナポレオンが失脚してから分裂状態にあり過酷な時代背景であった。
現在でもOpera、Athenaなどの大型クルーザーからAquaramaの後継モデルであるAquariva 、Rivaramaなどがあり、当時から海のフェラーリの異名をとるなど、世界一のヨットブランドを確立している。

私が彼(Riva)に出会ったのは世界一のマリーナに勤務していた4年前の夏のことだった。
乗り手はそれに見合わない中年の若僧であった。『センスだけは認めるがお前にRivaの舵を握る資格はない』見るたび私はそう思っていた。
そのRivaにはボトムが木でできている為、船底塗料が塗られていた。
海に浮かべるためには仕方のない事だが出来る事なら船底塗料ははがしてやりたい
そのRivaが稼働していたのは年一、二回くらいのものであった。

【ひとたびその芸術品が海に浮かぶと、何千万円、何憶円の周りの船でさえそれに圧倒され、その輝きを失う
エンジンがかかる
勇ましいエンジン音と空中排気のマフラーの音がレトロチックな半世紀前のイタリアを思い浮かばせる
ゆっくりと港を出航する
静かな海面にRivaの幾何学模様の引き波が立つ
周りの船が左右に揺れる
まるで皇帝陛下を送り出す王国旗を振る民衆のように見える
航路を過ぎ、外海にでる
勇敢なエンジン音はしばらく港にいる者達の記憶に残っている
港には静けさが戻り、何事もなかったように時が過ぎる
夕暮れ時に夕日に照らされたRivaが港に戻ってくる
潮を浴びた船体は白くくすんでいる
壮大な滑走劇を想像させる
陸地で磨かれ艶を取り戻す
今日もまた芸術品が展示場に飾られる】

いつかお前に乗り
気のすむまで大海原を滑走したい
私はあの光景を思い出すたび
世界一のボートに儚い夢を抱く
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